コンビニ人間を読んでみた。

gear

photo by ralphbijker

第155回芥川賞を受賞された村田沙耶香さん著「コンビニ人間」を発売日当日に買いました。
コンビニという毎日お世話になっている場所で働く人々が自身の仕事や自身を取り巻く社会についてどう考えているのか。
そして、「会社人間」「会社の歯車になる」が必ずしも肯定的に捉えられるわけでもない時代に、自ら「部品」になる事を心から願う心理や意図は何なのかとても興味を惹かれながら、150ページをあっという間に読了。
いわゆる「普通」とは少し離れた視点から人間社会の見えないけれど確実に存在している本質に触れながらも、これほど重苦しさ堅苦しさを感じさせず爽やかに読めた作品もなかったなぁ。
今回は、「コンビニ人間」を読んで私なりに考えたことを書いてみようと思います。

「機能不全世界」って?

白羽さんはたかがコンビニ店員のような目で見ているが、主人公の古倉さんは店内店外問わず勤務時間外でも常にアンテナを張り様々な情報を仕入れて仕事に反映させている。
また、「マニュアル」に従ってればいいと言うがそんなの謙遜と言っていい位、お客様の状態や状況を見て臨機応変に対応して実際にお客様から喜ばれている。

正社員が皆会社から一歩出ても仕事の事を考えているわけでもなければ、正社員だからいつも「マニュアル」でない創造的な仕事だけを行っているとも限らない。
人間にとって仕事が生活時間のほとんどを占めており、自らの仕事を細胞レベルで求めていると言えるほど仕事に愛着が持ててそれがお客様にも喜ばれるなんてまさにWin-Winの関係でどこから見ても合理的。

もし、仮に白羽さんの言う「機能不全世界」があるならば、古倉さんの仕事が「労働がお客様のニーズを叶えその対価としてお金を得るシステム」に完璧に合致し極めて合理的であるにも関わらず、本人がある意味野垂れ死にまで覚悟しなければならない矛盾、労働の対価と人間の幸福度との比例度を指しているのかも。

「普通」=社会存続に必要最小限で合理的な「普通」+人間の競争心・上昇志向が生む際限なき「普通」の足し算?

「コンビニ人間」の中で読者に問いかけられる大きなテーマである「普通」とは何なのか?
結婚して子孫を残し、健康な大人はなるべく生産的な仕事を安定してやってもらうという書面化されていない「マニュアル」は、縄文時代から現代まで世代を繋ぎ進歩させるのには至って合理的で必要なものではあったでしょう。

しかしながら、古倉さんも一時的に合理的な「マニュアル」に則り結婚や就職をしようとしても、そうなったらそうなったで逆にそんな結婚ならばしない方が遺伝子を残さない方がマシとまで言われるのはどういうことか?

社会の「普通」というものは、社会が存続するための必要最小限を規定した「マニュアル」に加え、もっと豊かになりたい等の競争心や上昇志向等個々人の自発的欲求が合わさったものではないか?
そして、それこそが社会の高度経済成長等急速な発展をもたらし、勝ち組は羨望の目で見られ「普通」から多少外れていても「普通」を微調整さえできるという思想や物語を多くの人々が信じている。
その裏には「もし、世の中から『普通』が無くなって皆が思い思いに行動するようになったら世の中は破綻する」という畏れがあり、その畏れが古倉さんのような物語に積極的に参加したくない人をも引きずり込む原動力ではないか。

「もし何者かによって『普通』が全廃されたとしたら、本当に世の中は結婚しない人働かない人ばかりになって世界は滅びてしまうのだろうか?」

この本を読んで、そんなことを突き付けられているような気がしました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です